2010.6.6掲載 重稲さん

初めまして、アルトの重稲(シゲイネ)です。

“くさぶえ”は今春31期に入りましたが、創団時メンバーが4人現存。私もその一人なのですが、決して歌大好きだから続いた訳ではありません。むしろ音楽とは無縁・苦手だった私が30路にして初めて合唱と出会いライフワークと思う仕事に体力も時間も消耗しながらも大切に臨んだ細く長くの30年。歌い手として今だ初級レベルを抜け出せない辛さはありますが、音楽の魅力に引かされてマンネリ知らずに牛歩のごとく来れた30年。今も尚旬の気分で練習に励めていることが、我ながら本当に驚きです。それもこれも“くさぶえ”に出会えたお陰と心深く感謝しています。

 “くさぶえ”に出会う迄の私を辿れば、この30年がいかに有意に過ごせてきたかをお伝えできるかも。長くなりますが、読んでいただければ幸いです。
 そもそもが生来人見知り強く引っ込み思案な私は、人と話をしないで済むことを希み、必要最小限に小さな声でポツリポツリ。発声の土台は全くトレーニングできてません。

歌う・踊るなどもっての他。音楽の楽しさに気づこうともせず、専ら絵や読書に心の拠り所を得ていました。しかし思春期よりそんな自分に息詰まり始め、自分捜しの迷路にはまり込んだ青春は灰色でした。変わりたい自分をもて余しつつ、いつかどこかにチャンスを見つけたい願望を募らせていましたが、OLになって5年後、それは突然訪れました。

 旧い知人に養護学校の運動会に誘われふとその気になった私。それは、これ迄の私らしからぬ積極性の発露でした。そして目からウロコ落ちる衝撃を受けたのです。自分が一歩踏み出せば育ち直せる未来がある。あるがままの自分をさらし出せる素直さが大事と。以来障害ある人たちは私の師となり、今に至る道筋をさし示してくれています。奇跡的な縁で療育施設の保育助手になったのが3ヶ月後。そして夜間保育短大の3年間は、我が育ちを客観的に検証できる嬉しさも伴い、理論や実技もむさぼるように学びました(学ぶとはこんなにも楽しきかな)。

 そして幼児教育における音楽領域の重要性にも思い至れたものの、素養の無い私としては幼児番組や他の保育士の技量に依存し甘んじていました。子どもたちの反応ぶりに心身の育ちをまざまざと見受けられる日々、私自身も欠落している音楽の楽しさを追体験させてもらいつつ、自分が指導に当たれない力不足については諦めていたのです。

 そんな私とは知らずに「ムジカの合唱講座」を一緒にと誘う人が・・・

 音痴を自認する私は、楽器も短大で単位を取る為だけに間に合わせたピアノが唯一。実用化しえない能力で講座を受けるなんて問題外と、完全否定に終始していましたが、「保育士なら歌えた方が良いでしょ」「どんな人でも大丈夫なムジカよ」と熱心に説得され、私のような劣等生が本当に相手にされるのか半信半疑。ともかくは確かめてみようかと気遅れしつつ受講生に。

 「すべての人々に音楽する喜びを!」と謳うムジカの理念とその実践に、思いがけなくも私の療育観にも相通じる思いを感じとれた私は、自分を試してみたくなりました。劣等感でガチガチの私がオドオド・ビクビクを引きずりつつも、ほどなくピアノの音や曲の調べに心安らぐ感触を覚え、更には我が意を得た心強さも抱きつつ、講座を楽しみに通えてました。和やかに真摯に熱く指導に当たられる指揮者は、ムジカ代表でもある内田功氏でした。“くさぶえ”創団時からご指導いただいている内田先生その人です。

講座修了を迎える頃、受講生の中から図らずも持ち上がった合唱団創団の話し。

ムジカの内田先生を指揮者に「誰でも歌える合唱団」を創ろうとの呼びかけは、まさに私の為にかと思う程嬉しかったです。俄かに音楽の魅力に気付かされ目覚めた感性は、たぶん俄かには身につかないだろう技量習得面での躊躇する思いに勝って、入団を決めていました。たくさんの仲間との出会いと別れも余儀ない流動的な団員構成の30年、初心者も経験者も共に創る音楽の喜び目ざしていく為に“くさぶえ”が初心貫ける団運営に努めていけるよう、私はずっと願い続けて来ました。(そのつどつどの運営委員の方々を中心に、大きく崩れることなく、迷走しても立ち戻れる、失敗に学べる力が発揮されてきたと思います。)私のような団員が居づらくならず、根気よくシンドイ原石磨きに挑み続けられていられるのは、さり気なく支援してくれる仲間と、ひたすら音楽の素晴らしさへ誘なわんと本気で向き合い続けてくださる内田先生のお陰です。そして、次々出会える味わい深き曲たちが、先へ先へと思いを募らせてくれています。

 今尚益々熱く音楽魂の弾ける内田先生の指導に、積年の歌唱力アップへ努めると共に、奥深い音楽の魅力=豊かな人間性に触れ得る喜び求め、今後も出来るだけ長く“くさぶえ”の一員で在りたく願っている私です。

余談ですが、保育士としての私の歌唱力は今だお粗末ながら、苦手で無関心だった音楽が私の生活を色彩り始める程に、私自身の感性を深く広く耕されていく手応えを覚え始めていました。心底嬉しい驚きでした。私個人に止めておく手はないとばかりに、療育内容に音楽領域を率先し取り入れてみると、少しずつ少しずつ子供たちの心と響き会える感触を得、喜々として試行錯誤を積む保育士になっている私でした。そんな子供たちの姿に、居合わす母たちは「産んでよかった!」「育てていける!」の境地を抱けたり、音楽が母の心をも解きほぐしていたり、保育士も子も母も共々「教育は共育」「育児は育自」と身を持って深く思い至れるという、まさに音楽に導かれての幸せな日々を紡いで来れました。昨春現役を退きましたが、ムジカくさぶえに出会えてからの私の保育士人生は、本当に私自身の育ち直しをめざせた幸運な歳月でした。音楽というかけがえのない宝私の唯一の財産だと思っています。いえ魂いになっているのかも。幸福です!

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